8月6日、広島80年

Countries with nuclear bombs 希海のぼやき雑記

私はしょっちゅうラジオを聴きます。
Spotifyで日本のラジオ番組も聴けるんです。
家事をしている時、お風呂に入っている時、メイクをしている時。
作業をしているから画面は見られないけど、無音じゃ寂しい時。
そんな時にラジオは便利。

そんな私が2日前、イギリスにいながら日本のラジオをリアタイ出来る方法を見つけてしまいました。
それはradikoをVPNで接続して、HP上で聴くこと。
Spotifyで聴けるのは一部の番組に限られているため、これまでもradikoを海外からどうにか聴けないかと試してきましたが、うまくいきませんでした。
なぜならradikoのアプリではVPNを使っても聴けないんですって!
ポイントはHP上で聴くこと、だったんです。

そして昨夜、イギリス時間で8月5日の深夜。
気付いてしまいました。
おや?ラジオで広島の平和祈念式典がリアタイ出来るんじゃないの?
お恥ずかしながら、日本にいた時、8月6日の朝8時はまず起きてませんでした💦
学生の頃は夏休み真っただ中。朝8時に起きてるわけがありません。笑
だけどイギリスでは日本の朝8時はちょうど真夜中0時。
思わずradikoを開きました。

イギリスに来てから、なんとなく「日本人として」原爆のことを外国人に知らせなければ、という使命感が生まれました。
日本でおススメの場所を聞かれたときには必ず広島の原爆資料館も入れます。
そんなことを書いてるくせに、実は小学生の頃、図書館にあった「はだしのゲン」は怖くて開けませんでした。
高校の修学旅行で訪れた長崎の原爆資料館は怖くて入ることが出来ず、クラスのみんなが出てくるのを外で待っていました。
二十歳を過ぎてから訪れた広島でようやく原爆資料館に入ることが出来ましたが、目の当たりにするのはやはり辛かった。苦しかった。
でもこれは世界中の人々が見るべき・知るべきだと思いました。
トルコ旅行に行ったとき、たまたま原爆展が開催されていたので入館してみましたが、残念ながら全く人は入っていませんでした。
この記事の最下部にトルコでの原爆展の写真を掲載しますが、写真を撮った私ですらサムネイルを見ただけで怖くて開けない写真が幾枚もありました。
怖い、辛い、苦しい。
そんなものから人は目を背けたいのかもしれません。
でもだからこそ、「日本人である」私たちが世界の人に喚起していかないといけないのかな、とも思うんです。

radikoを開くと、NHKラジオが広島平和記念式典を中継していました。
式典が始まる前に私が思っていたのはこんなこと。

核のない世界なんて綺麗ごとなのかもしれない。
若い時は、世界で唯一の被爆国である日本が非核三原則
を掲げていることに誇りを持っていた。
アメリカとロシアが核兵器を放棄しさえすれば、世界もそれに追随するんじゃないか?
誰も望んでいない、誰も得をしないこの兵器を保持することに何の意味があるのか?
でもいつまでたっても戦争は終わらない。
武器を作って売って、お金儲けをしてる人たちがいる。
武器や軍隊を持たない国は結局軍事力のある国の言いなりだ。
日本がアメリカから受けている恩恵と、アメリカが日本から受けている恩恵(と書いて”金”と読ませたい)のどちらが大きいんだろうか?
結局アメリカとロシアは核兵器を放棄しない。
そしてこの二国が放棄したところで中国や北朝鮮、イギリスやフランスが放棄するとも限らない。
戦争に行きたがる人がいるとは思えないのに、市民が声を上げたところで戦争はなくならない。
イスラエルのパレスチナ侵攻だって、どれだけ有名人が声を上げても、各国が声を上げても、止まらない。
市民の声が世界を変えるなんていうのは、夢物語なのかもしれない。

式典が始まり、広島市長さんのお話や、広島に住む子供たちのスピーチがありました。
  翌日の記事で広島市長さんではなく広島県知事のスピーチを絶賛する記事を見かけましたが、
  個人的には市長さんのスピーチの方がずっと良かったです!

ラジオなので映像はなく音声のみでしたが、みなさんのお話を聞いていて涙が出てきました。
いつもと変わらないはずだった、ありふれた朝を過ごしていた広島の皆さん。
何万人もの人が一瞬で消え去ってしまいました。
一瞬で消え去った人たちは恐怖を感じる前に亡くなられたかもしれません。
でも生き残った方々。
その方々が経験した地獄を思うだけで苦しい。
下に掲載する、栗原貞子さんの「生ましめんかな」という詩にもその凄惨さが見て取れます。
こうして書いているだけでも涙が出てきます。
あぁ、諦めちゃいけないんだ…。
特に私たち、日本人は。

ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ侵攻。
私にとっては暴挙に思えます。
この時代にこんな形で他国を攻撃するなんて。
でも国連も先進国も止めることが出来ないことに、私はひどく失望していました。
だけど何も変わらないと諦めることは、地獄を見た方々に申し訳が立たない。
変えることは難しくとも、声を上げ続けることには確かに意味があるはず。
式典の中で「被爆者の方々がまだ生きているうちに、核のない世界を実現させたい」という言葉がありました。
今年で80年。
あとどれくらい、時間があるのでしょう?
広島、長崎の原爆で亡くなった方々の御霊が安らかでありますよう。

トルコの原爆展。綺麗に展示されているのに誰もいない…
栗原貞子さんの「生ましめんかな」
参考までに日本語版。
なぜか多くの説明文は英語がメインだった。これも人がいなかった一因か?

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