毒親に育てられた私が遠野なぎこさんの訃報に感じたこと──虐待の記憶と向き合い続ける私たちへ

希海のぼやき雑記

 
※注意:うつ状態にある方や深く落ち込んでいる方、過去に虐待経験がある方にとっては、本記事の内容が辛く感じられる可能性があります。
暴言や暴力の描写を含みますので、ご自身の状態にあわせてお読みください。

 

先ほど、遠野なぎこさんの自宅から遺体が発見されたとのニュース速報がありました。
本人確認のためDNA鑑定が必要とされており、現在、安否については確認中との報道です。

遠野さんは、私にとって特別に好きな女優さんというわけではありません。
でも『アウト×デラックス』という番組が好きでよく観ていたので、彼女にはどこか馴染みがありました。
最後に彼女をテレビで見たとき、以前よりもずいぶん痩せていたので驚いたことを覚えています。
いつもギリギリのところで立っているような危うさを抱えているように見えました。

今回の報道をきっかけに、私は初めて遠野さんが幼少期に毒親からの虐待を受けていたことを知りました。 
思わずYouTubeに上がっていた彼女のインタビューをいくつか観たのですが…言葉に一貫性がないように感じました。
鼻血が出るまで殴られた、母親に不倫話を聞かされた──そんなエピソードの一つひとつは、きっと事実だと思います。
でも、その事実に対する遠野さん自身の感情や解釈が、その時々の遠野さんの気分で揺れているように感じたのです。
それは彼女が今でもなお、起こった事実をどう捉え、どう感じればいいのか定まっていなかったからのように見えました。
結局、遠野さんはずっと過去に囚われたままだったということでしょうか…。

わかります、私自身もいまだに囚われています。
20年近く会っておらず、10年以上連絡も取っていない母親の悪夢をいまだに見ます。
母親が私を追いかけまわして殺そうとする夢です。

私の母親は不倫こそしませんでしたが、日常的な暴力・暴言・食事を与えないなどの虐待を繰り返しました。
普通の家庭で育った方には暴力や暴言がどんなものか、なかなか想像がつかないと思うので一部紹介します。

食事を与えないことは小学生のころから何度もありました。
1日だけ与えないのではなく、数週間与えない、というのを何か月かおきにするのです。
だから給食が命綱でした。
学校帰りにコンビニに寄り、貯めていたお年玉でマシュマロを買って空腹を満たしました。
一番安くてお腹がいっぱいになる気がしていたんですよね。
父親は会社経営をしていたのでそれなりの収入はありましたが、毎年お年玉は3000円くらい渡され残りは母親に没収されていました。
だからお年玉が尽きると、親が完全に寝静まった夜の2時頃にこっそりキッチンへ行き、多少少なくなっていてもバレない粉チーズを手の平に出して食べたりしました。
父親は母親が私に暴力を振るっていることは知りませんでしたが、さすがに食事を与えていないのは知っていました。
13歳の時、一度だけ父親が私の部屋にこっそり来て
「お母さんはね、子供みたいな人だから。お前が大人になるんだよ」
と言ってお金をくれました。
中学校を卒業してすぐにアルバイトを始めたのは言うまでもありません。笑

暴言も色々ありますよー。

小さなころから何百回と言われた、
「お前みたいな人間、誰にも好かれない」

毎年、担任に提出しなければならなった”調査書”。
家族構成や親の職業、長所や短所などを書き込む用紙でしたが、毎年、提出日ギリギリまで”長所”の部分だけ空白でした。
「何書いたらいいのか、わからないのよねー」

11歳の時には母親の嫌いな人からもらった服を着ていたら追い回されて身ぐるみはがされました。
「ほれ、脱げ!脱げ!脱げっつってんだろ!!」
そして裸で家の外に出されました。
門の外ではなかったので人目には触れませんでしたが、高学年の女子には大きなショックでした。

中学生になってクラスの男子から電話が掛かってくると
「色気づきやがって!どの男だ、電話番号よこせ!お前がどんな女なのか、そいつに知らしめてやる」

また中学最初の試験で学年1位を取ってからは、
「何様だと思ってんだ、自分のこと頭がいいとでも思ってんのか」
「あたしのこと見下しているんだろ!!」
と言われてしょっちゅう引きずり回されました。
信じがたいかもしれませんが、成績が良いことで叱責や暴力を受ける子どももいるんですよ…!!

母親が急に体調が悪くなり、病院へ緊急搬送されている車の中で死ぬと思ったのか
「あんたは一人で生きていけるだろうけど、どうかどうか〇〇(弟)を頼む」
「あんたは可愛くない子だった」(死ぬ間際に言うことか!!怒 しかも死ななかったし💦)


だから男女を問わず、誰かから好意を示されるとにわかには信じられないんです。
この人にとって私は何か役に立つのかな?
私と仲良くしているとこの人にとってお得なのかな?
そしていつか私にガッカリして離れて行ってしまうんじゃないか、とどこか怖いんです。

遠野さんは暴力は小学生まで、そして16歳には一人暮らしを始めたとのことで、正直少し羨ましいです。
私は20歳を超えても暴力を受けていたし、18歳を超えて何度か一人暮らしをしようとしたときには脅されて、結局ロンドンに来るまで家を出ることもできませんでした。
私の経験の方が遠野さんのものより凄惨だった、と言ってるわけじゃないんです。
「タイムマシンがあったら、いつに戻りたい?」
というよくある質問、私は10代のころに戻って、あの家からもっと早く逃げ出すべきだったと思ってしまうんです。
もっと早くにあの環境から抜け出せていたら、私の人生はどうだったろう?と考えてしまうんです。

私の場合、物心つく前から母親の暴力は始まっていました。
だから幼稚園の頃にはすでに頼れる人もいないし安心できる場所もありませんでした。
今でこそ「毒親」なんて言葉が浸透してるし、インターネットで相談窓口など情報も得られやすいですが、私や遠野さんの時代はそうじゃありませんでした。
お隣さんも私が殴られ蹴られて泣き叫ぶ声を日常的に聞いていたと思います。
でも昔はそれを通報する人もいませんでした。
親のお金で学校に行っている間は、自分に人権なんてないと真剣に思っていました。
こんな扱いを受けていることを他人に話すなんてもってのほか。
親友にも恋人にも先生にも、誰にも打ち明けたことはありませんでした。
そして「逃げ出す」なんてことは夢にも考えられませんでした。

遠野さんのニュースが駆け巡る中で、過去に遠野さんがした発言もクローズアップされていました。
「親と縁と切ると悪者にされる」
「子供を愛さない親がいることへの理解が進んでいない」
わかる…わかる………わかりみが過ぎる…!!!!
数年前のことですが、10代の頃からの友人に母親からずっと暴力を受けていたことを打ち明けました。
すると彼女は
「でも親になってみてわかるけど、子供のことを気にかけない親なんていないよ。
 お母さんと話してみたらどうかな?」
と。
相当、傷つきました。
そして
「私もお父さんに殴られたことあるよ」
とも言われました。
その発言はまるで”あなたの受けていた暴力は大したことではない”と言っているように聞こえました。
20年来の友人にも理解されないことは、やはり辛いです。
私が母親から受けていた暴力は”殴られたことがある”というレベルではないのに…。
いい年した大人が何を言ってるの、と思われたのかもしれません。

今はいついかなる時も暴力はいけないって時代だと思います。
でも私たちの時代は悪いことをしたらゲンコツをくらう時代でした。
私も父親にも殴られたことはたくさんあります。
今思えば理不尽な理由だったこともあるけれど、少なくともストレス発散のための暴力ではありませんでした。
だから私は”父親に虐待されていた”という意識はありません。
父親は仕事人間で家庭を顧みない人だったので彼とも絆はありませんが、少なくともいたずらに暴力をふるったり暴言を投げつけてはこなかったのでそれだけでありがたかったです。

インタビュー記事の中で、遠野さんは
「目に見えない傷も必ず癒えるから、自死だけは選ばないでほしい」
と言っていました。
だからこそ、悲しい。
同じような経験をしてきた人が、折れてしまった。
悲しい。

遠野さんの母親も2年ほど前に自死されたらしいです。
その後、遠野さんも一時は精神状態が良くなったらしいのですが、結局は…。

私の仕事のクライアントさんで、当時50代の女性がいました。
彼女も幼少期にお母さまから虐待を受けていたそうで、家事をしなくてはならないので学校に行けなかったと言っていました。
最後は10年ほど介護したらしいのですが、ベッドの上からでも杖で殴られたと言っていました。
そしてそのお母さまが亡くなられた時、その女性は一気に解放されて自由になった気がしたとおっしゃっていました。
私と知り合った時にはすでにいろいろと海外旅行へ行かれているアクティブな方でしたが、
お母さまが生きてらした時にはまさか自分が海外を飛び回るなんて考えもしなかった、と。
それがお母さまが亡くなって、一気に自由になって人生を楽しめるようになった、と。

だから遠野さんがその女性のように自由を謳歌できなかったのは悲しいです。
私も母親が死ぬ前になんとか話し合おうと試みたことはありましたが、うまくいきませんでした。
そういった毒親は子供に何を言われようとも自分が一番大事なんです。
子どもの気持ちを考えるような親なら、虐待なんてしません。
「あたしの寿命は長くない」
的なことを母親はしょっちゅう言っていたのに、いまだに生きているのは少し驚きです。笑
でもいざ実際に母親が死んだら、私のクライアントさんのように自由になって解放されるのか。
それとも遠野さんのように堕ちていってしまうのか。
わからない。
わからない。
けれど。
私は毒親の呪縛に囚われたまま人生を終わりたくない。
今も戦っている。
今でも涙が出てくる。
苦しい。
子どものころに愛されず、いつも身の危険を抱えていたことはきっと一生忘れられない。
耳にこびりついて消えない暴言たち。
時々地の底から聞こえてくる。
でもそれは真実ではない、と自分に言い聞かせる。
私が笑って毎日楽しく生きてくことが、きっと一番の復讐。
復讐、というのは執着が見えて良くないな。
苦しみや経験は一生消えない、忘れられない、だけどあんたのことは忘れてやる。
忘れて幸せに生きてやるよ。
私は十分に苦しめられた。
それなのに今や将来まで苦しめられるなんてまっぴら。
私は、負けない。

もしここまで読んでくれた、同じように辛い現実を生き残ってきた人たちがいましたら。
笑ってやりましょう。
わからない人にわかってもらえなくてもいい。
自分の機嫌は自分でとりましょ。
あなたは価値ある人間です!
あなたの存在に救われている人が必ずいます!!
自分が好きなこと、楽しいこと、喜びを感じること、をどんどん増やしていきましょう。
少しずつそれが増えていったら、幸せもどんどん増えていきます。
人に頼る必要はない。
自分の心に耳を傾けましょう。
私たちは生き残った、それならあとは楽しむしかない!!

とりとめのない文章ですみません。
遠野なぎこさん、残念なことになってしまったけれど、虐待された人がどうなるのか、どう感じているのか発信してくれたことは大きな意味があったと思います。
ありがとう。
どうか、心安らかに。

 





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