宗教アレルギー④

jesus christ

宗教アレルギー②では新興宗教、ではイスラム教について書きましたが、私が住んでいるイギリスでの多数派宗教はキリスト教です。

とはいえ、昨年イギリス政府から発表された資料によりますと、40歳以下の年齢層は「無宗教」がキリスト教を上回っているとのこと。

また個人的な感想ですが、敬虔な宗教信者というのは先進国出身者よりも発展途上国(新興国)出身の人の方がずっと多い気がします。

キリスト教では白人系の熱心な信者さんももちろんいますが、アフリカやカリブ系の黒人やフィリピン人に熱心な方が多いように思います。 

 
 
 
数年前の話ですが、友達のイギリス人カップル(いずれも典型的白人イギリス人)が離婚することになりました。

二人の結婚式にも出席したのですが、会場は奥さんが毎週通っている、行きつけの教会で行われました。

この教会には有名バンドの誰々も来ることがあるとか聞いたのですが…全く興味がなくて誰だったのか覚えてません。笑

元々は旦那さんが友達だったのですが、奥さんはとても明るくて気さくな感じの女性だったので、まさか1年ほどで離婚するとは思ってもみませんでした。

離婚の交渉をしていると伝えられた時、理由を聞いてビックリ。

結婚当初、友達は30代半ば、奥さんは20代後半だったのですが、奥さんはとても敬虔なカトリック教徒で、結婚するまではと純潔を守っていたらしいのです。(私の友人の方は熱心ではない。)

今にして思えば「奥さんが毎週通っている教会」が伏線でした…。

二人は結婚までに2~3年付き合っていましたし、同棲もしていましたが、その間、性交渉は一切なし。

遂に結婚して「初夜」を迎えたわけですが…友達は違和感を感じてしまったそう。

「イマイチ合わない」「なんか、違う」

しかし結婚するまで純潔を守っていた奥さんの方は「デビュー」してからというもの、これまで我慢していた分の性欲が爆発してしまったらしいのです。

高まる奥さんの性欲とは反比例するように、萎えていく旦那。。。

ある時はぎょっとするようなセクシー下着をつけて待ち構えていた時もあった、と友達は振り返っていました。

そんな風にされればされるほど、奥さんとする気はなくなってしまったそうです。

結婚前にその話は聞いていなかったので、まさか婚前交渉なしで結婚する気になった、友達にまずビックリです。

今の日本で「お付き合いするまでは何も致しません」というのはよくある話だと思いますが、「結婚するまで純潔を守る」なんて人にはなかなかお目にかかれない気がします。

その二人は性交渉なしで2~3年付き合いようやく結婚にたどり着いたのだから、1回目で「ちょっと違う?」と思ったとしても、二人で作り上げていくのがセックスというか、メイクラブとかってもんなんじゃないのかしら?と思ったりしましたが、友達は急激に萎えてしまったそうでそれにもビックリでした。

またカトリック教徒である奥さん側はもちろん離婚なんてありえないのでなかなか交渉が進まず、離婚が成立するまでに結婚期間よりも離婚協議期間の方が長くなってしまったようです。

友達の奥さんのような、敬虔なキリスト教信者はたいてい週末に教会へ通っています。

 
 
 
敬虔な宗教信者の人と友達になると、どうしても避けて通れないのが教会やモスク(イスラム教のお寺)に誘われることです。

仲が良くなれば良くなるほど、「私のためを思って」「私が天国へ行けるようにと」教会やモスクへ誘ってくれます。

※三大宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)では輪廻転生の観念はなく、死後は天国か地獄へ行くことになっています。

私に何か辛いことがあると

「祈りなさい」

「私もあなたのために祈るわ」

「私も辛いことがあった時、救ってくれたのは神との対話だった」

と親身になって勧めてきます。

私のためを思ってくれてることはよくわかるので本当に心苦しいのですが、やはりそこで彼らに簡単に同調したり教会へ足を運ぶことはできません。

 
 
 
一度、友達にだまし討ちで教会でのイベントに参加させられたことがありました。

エチオピア人のその友達と普通にお茶していたのですが、なんだか時計を見てそわそわしだし、散歩しようと言ってきます。

よくわからないけれど彼女と歩いていたら、大きな教会の前に到着しました。

そこには何か受付のようなテーブルと上り旗が出ています。

「私、一人で行きたくないから一緒に行ってくれない?」

は!?!?

数日前に彼女からそのイベントに誘われたけれど、私は断っていました。

それなのにだまし討ちで無理やり連れてこられたことにムッときました。

さらにそのイベントは入場料まで支払わなくてはならない有料のものでした。

「嫌だよ、私、行かないよ!?」

私は全力で拒絶しました。

「お願い、お願い、お願い~~~!!」

友達も恐ろしいしつこさです。

受付の人たちが「入るの?入らないの?」といった冷たい視線を向けています。

相当嫌だと粘りましたが友達も引かないので、結局は私が折れて参加しました。

 
 
 
そのイベントはキリスト教徒の女性のためのイベントでした。

数年前のことなのでうろ覚えですが、真ん中に舞台のような台が設置されていてそれを取り囲むように椅子が何列も並んでおり、私たちが入場した時はすでに女性たちでほぼ埋まっていました。

何人かが舞台上でスピーチをし、そのたびに沸き上がる歓声と拍手。

「イェー!ジーザス!!」

「マイロード!!(主よ!!)」

その後は景品の当たるゲーム大会、そして立食歓談のような形になりました。

その歓談の時に友達が私の手を取って先ほど舞台上でスピーチをしていた女性の元へ行き、「彼女のために祈ってくれませんか」と突然お願いし始めました。

「いやいやいやいや…!!」

実は当時の私はいろいろな不幸や不運が重なり、本当に大変な状況にありました。

その友達に内容は話していなかったものの、私の身に何かが起こっていることは彼女も察していました。

きっと友達はそれを見越して幹部女性にお願いしたのでしょう。

その幹部っぽい女性は、私の肩に手を置きこう言いました。

「あなたの苦しみは永久には続かない。どんなに真っ暗闇で何も見えなくても、必ず出口の見える時が来る。どうか希望を捨てないで。」

私自身、そんなつもりはなかったのですが、海外で女一人(今のパートナーに出会う前のことでした)本当に辛く苦しい状況だったので、その言葉を聞いて思わず涙が出てしまいました。

するとその幹部女性はサッとNo2と思われる女性を呼び出し、「彼女、面倒見てあげて」と伝えます。

私が泣いているうちに友達がそのNo2女性に自分と私の連絡先を教えたようで、その日のうちにNo2さんから連絡が来ました。

さっそく翌日、お茶する時間は作れるかと聞かれましたが…断りました。

数日後にも同じく会えるか聞かれましたが、やはり少々怖くて断りました。

そして最初のメッセージから毎日…No2さんから聖書の引用や聖書アプリ、聖書サイトなどがガンガン送られてきました。

1週間後、私はNo2さんに「親切に気に掛けてくれてありがとうございます。でも申し訳ないけれど、私はクリスチャンではありません。親切にしていただくことに引け目を感じます。」と伝えました。

すると「それは問題じゃないわ!」と結局毎日連絡が来ます。

そうして毎日のように「明日はどう?」「XX日はどう?」と聞かれているとどうしても断り切れず二度ほど彼女とお茶しましたが、「キリスト教徒になるつもりはない」というスタンスは変えませんでした。 

2か月ほどはほぼ毎日連絡が来ていましたが、それからは頻度が落ちて数週間に一度、数か月に一度になり、最後に連絡があったのは最初のメッセージから1年半後でした。
 
 

きっと彼女は悪い人ではないだろうと思います。

こんな見ず知らずの私に、毎日連絡してくれて。

布教のためと言ってしまえばそれまでですが、暗闇のどん底にいた私にとってこうして気に掛けてくださることはありがたいことでした。

それと同時に、宗教にハマってしまうのはこういう時なんだろうと思いました。

この記事で少し触れていますが、私は日本の家族と連絡を絶っています。

そして当時の私には恋人もいませんでした。

家族も恋人もいない人間が異国でたった一人、色々な不運や不幸に遭い、明日ホームレスになってもおかしくない状況だったーこんな時、優しく声を掛けてくれる人がいたら流されてしまう人がいてもおかしくありません。

この頃はNo2さんの他にも熱心に教会へ誘ってくれる友達が数人いました。

イギリス中心地にある、とある劇場は週末の午前中はキリスト教のミサに使われているそうで、たまたまですが3名の友達がその劇場のミサに参加していて、これにも何度も誘われました。

No2さんも教会に誘ってくれる友人たちも、根はいい人たち。

だけどやはり何かというとお誘いが来る。

毎回断るのも辛い。

「私は神様は信じていないから」

そう告げても、めげずに誘ってくる。

いい人だから友人関係は続けたいけれど、私が何度断っても誘ってくるのは私の事を尊重してくれていないのではないか、とも感じました。

結局は毎回のお誘いに居心地が悪くなってしまい、熱心なキリスト教徒の友人たちとは疎遠に。

 
 
 
私はもともと、誰がどんな宗教を信仰していようと、その人が幸せであれば構わない・気にしないタイプでした(新興宗教ではなく伝統的な宗教であれば、ですが!)。

豚肉が食べられないとか、牛肉が食べられないとか、それなりの配慮は必要になりますが、人として付き合っていく分には宗教は関係ないと思っていました。

でも深く関われば関わるほど、「神」は敬虔な彼女たちにとって大切なことで何かにつけて話に出てきます。

仲良くなればなるほど、彼女たちが信じている「神」を私は信じていないという事実は、どうしても超えられない境界線へとなっていきます。

私が信心深い彼女たちを認めていても、神を信じない私はきっと彼女たちにとって本当の仲間ではないのかもしれません。

結局、宗教はコミュニティで、それに属している者同士は助け合う、という利点も宗教が広がっていった理由の1つだと思います。(芸能界における創○学会なんかはよく聞く話ですよね。)

自分が弱っている時はこういった人たちー信心深い人たちに出会いやすいのかもしれません。

当時、キリスト教の教会へのお誘いが本当に多かったです。

こんなに弱っている時に流されなかった自分もなかなかしぶといな、とは思います。

でもこの時にさんざ教会に誘われた経験は、私の宗教アレルギーの大きな原因となりました。

そしてもう1つ、宗教に関するとても怖いことがありました。

それは⑤にて。

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