ある冬、隣室との壁が薄い家に住んでいた時のこと。
趣味の楽器を演奏したかったので、寒くて人気のない午後の公園へ行き、ひっそりと演奏していました。
すると一人の黒人少年が近寄ってきて、私の演奏に聴き入りました。
時には音楽に合わせて踊ったりして。
純粋に音楽を楽しんでいる様子でした。
そのうち
「音楽っていいなぁ!きみの演奏もとってもいいよ!」
なんて話しかけてきました。
下心ありありのナンパ目的だったら返事すらせず演奏を続けたと思いますが、純粋に音楽を楽しんでいる男の子、という感じだったので私も挨拶しました。
話してみると、その青年は19歳。(少年ではなかった。汗)
その公園の近くで働くお兄さんに忘れ物を届けに来た帰りに、ブラブラと当てもなく散歩していたところだったようです。
彼はアフリカの島国、サントメ・プリンシペ出身でした。
このブログ内でいつも書いていますが、ロンドンは多くの国々から人が集まる街です。
ロンドンに来て間もない頃、知り合った人の出身国を知らなくて失礼な態度をとってしまったことがありました。
その時、誰かの出身国を知らないというのは申し訳ないと思ったので、国連に加盟している193か国の名前と場所は覚えました。
彼は4、5歳の頃、サントメ・プリンシペからポルトガルに移住してそこで育ち、3か月ほど前にロンドンへやって来たとのこと。
母親と兄妹は彼より数か月前にロンドンへやってきて、すでに生活を切り開いているようでした。
上記記事の中で触れているエリトリア事件があってから、全ての国を頭に叩き込んでいた私はサントメ・プリンシペを知っていました。
最初はサオトメ、サオトメ、としか言われなくてわかりませんでしたが、サオトメ・プリンシプと言われてピンと来ました。
「アフリカの西側の島国だよね?」
すると青年はとても驚いて
「サントメを知ってる人にこの街で初めて会ったよ!!」
と感激していました。笑
(日本語では「サントメ・プリンシペ」、英語になると少し発音が変わる模様。)
どうやらアフリカ出身の人にすら
「サントメ?知らない」
という反応をされることがあるそうです。
感激してくれてなにより。
国の名前を勉強したかいがあったわ~~~~~。
名前と場所はわかるものの、サントメ・プリンシペという国がどんな国なのか全くわからなかったので、青年に聞いてみました。
「いいところだけど、貧しい国で何もない。」
「サントメには住みたくはない。」
こんな回答でした。
しかし私が驚いたのはポルトガルでのことでした。
青年いわく、ポルトガルでは人種差別がひどいとのこと。
なにせ数年前のことなので詳しくは覚えていないのですが、
「黒人では仕事すら見つからない。」
「何か悪いことが起きた時に真っ先に疑われるのはいつも黒人。」
などでした。
ポルトガルには多くの黒人がいるイメージでしたが、人種差別がひどいとは。
ポルトガルでのことについては私にはわかりませんが、時々”ネガティブ推し”する黒人がいます。
「俺らどうせ黒人だから・・・」
彼らの真の苦しみをわかっていないのにこう言うのは間違っているかもしれませんが、私には言い訳に聞こえてしまいます。
特に多くの人種が集う、ロンドンでは。
セネガル出身の友人がいます。
彼は苦労して博士号を取得し、今はイギリス政府のために働いています。
ガーナ出身の知人もいます。
彼女はおそらく”いいとこ”出身なので対象にはならないかもしれませんが、彼女も医師として働いていて、人一倍プライドが高いです。笑
エチオピア出身の友人は、裕福ではありませんが真っ白な(笑)白人の旦那さんとの間にカワイイ坊やたちがいて、いつも笑っています。
子どもがいると母親としてのみの人生を邁進してしまう女性が多いですが、彼女は子どもの人生と自分の人生は別物、と自らの人生を充実させて楽しんでいます。
彼らから”どうせ黒人だから…”という言葉は聞いたことがありません。
後日、セネガルの友人にサントメの青年のことを話し
「あなたは”どうせ黒人”とも言わないし、差別を受けた話もしないよね?」
と尋ねると、
「そりゃ差別されてると感じることもあるよ。たくさんね。だけどそれを言っても何も始まらないからね。」
と言っていました。
「どうせ黒人だから」
「それを言っても何も始まらないから」
どちらもある意味、諦めの発言なのですが、前者はそれを言い訳にすべてを放棄する「諦め」、後者はそれを事実として受け入れた(諦めた)うえで新たな道・自分なりの道を模索する「諦め」。
同じ「諦め」でも行く末は大きく変わります。
19歳の青年。
まだまだ有り余る未来のある若者。
他にも色々話をしたのですが、様々なことに興味があって頭が悪そうな感じではありませんでした。
だけど”どうせ黒人”が染みついてしまっています。
「ロンドンに来て良かったね。ロンドンなら能力で差別されることはあっても肌の色で差別されることはないから。」
と私は青年に言いました。
セネガル人の友人が言っていたように、実のところ差別や偏見が全くないとは言い切れません。
しかし19歳の青年にそれを言い訳にしてほしくない。
捉え方が変わればまだまだ広がる未来を、信じてほしい。
しかし青年は
「でも黒人だから仕事も見つからない・・・」
とまだネガティブキャンペーン。
「それは黒人だからではなく、あなたに経験がないから。
お母さんやお兄さんが働いていて、あなたは生活費を払う必要がないんでしょう?
ラッキーじゃない。それなら無給のインターンでもいいから見つけて、まずは経験を積んでみたらいいよ!」
「そうかな・・・いや、でも・・・」
彼はまだまだネガティブキャンペーンを続行していましたが、私も負けじとポジティブキャンペーンをし返しました。笑
ひとしきり少年の話を聞き励ましましたが、日が落ちて段々と寒くなってきました。
しかし、さて帰ろうか、なんて時に残念なことが。
私はバスで帰宅するつもりでしたが、彼は
「地下鉄で帰りたいが電車賃がない」
と。
「行きは地下鉄の自動改札を他人が通るときに一緒にすり抜けて来た」
「きみが自動改札を通るときに一緒に通過させてくれないか」
と。
いやいやいやいや。
「電車賃もなくそんな犯罪まがいのことまでしてお兄さんに忘れ物を届けるなんてそんなに大切なものだったの?」
と聞くと、彼がお兄さんに届けたものはなんと大麻でした。
「は!?何言ってんの!?そんなものの為にあなたはこんな危険を犯して届けたの!?何をやってるんだ、きみは!!」
と言うと、
「(兄は)公園近くのホテルで働いていて、今日は夜勤なんだ」
「しかし大麻がないと兄は眠れない、体を休められない(ホテルで仮眠をとってそのまま夜勤のシフトという感じだったらしい。)」
「兄が仕事を失ったら自分たち家族はより困窮する」
と。
「あのさ、1日吸えなかったからと言ってお兄さんは死ぬわけじゃないでしょう。
それよりも職場で(休憩中とはいえ)そんなもの吸っているのを見つかったらそれこそクビでしょうが。
そんなものの為にキセルまでして届けて、あなたが捕まったらどうするの?」
と伝えると
「兄は吸えなかったら攻撃的になる、彼にとっては大切なんだ」
など色々言っていましたが、なんだかガックリきてしまいました。
軽い気持ちでキセルの協力を尋ねたのかもしれませんが、私は日本人=お金持ちというイメージで言われた気がして ガッカリしてしまったんです。
1時間以上は彼と話したと思います。
いい交流をしたと思ったのに。
ロンドンには、大麻なんてそこかしこにあります。
道を歩いていて臭いがしてくることも多々あります。
治安の悪くて人気のないような場所ではなく、中心地で人がたくさんいる繁華街ででも、です。
道端で大麻を吸っていたとしても、売りつけているわけでなければ逮捕されないらしいのです。
しかしさすがに職場で大麻を吸っていたら解雇されるだろうし、キセルしたところを捕まって更に大麻を所持していたら逮捕されるかもしれません。
「とにかく私はバスで帰るから。きみもそんな危ないことしないで、お金がないなら歩いて帰りなさい。」
と告げました。
こんな風に冷たくあしらったら逆恨みされることもありそうですが、さすがにこれだけポジティブキャンペーンをした私に悪態をついたりしつこくお願いしてくることはありませんでした。
きっと心根はいい青年なんだと思います。
まだ10代なのに”どうせ黒人”が染みついているということは、周りがそう言っている環境なんだと思います。
しかし「他人と過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられる。」
あれから数年。
今の彼はロンドンで彼なりの道を切り開いているでしょうか。
そうであることを願っています。
ガッカリしてしまったエンディングではありましたが、これが私にとってサントメ・プリンシペの印象となりました。
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